伊藤 みき プロフィール

伊藤みき

profile

伊藤みき(いとう みき)
小学生の頃から姉や妹とともにモ ーグルの大会に出場し、数々の大会で好成績を収め注目を集める。ナショナルチームに所属してからも順調に成績を上げていき、08-09シーズン のワールドカップで3位、猪苗代で行なわれた世界選手権ではデュアルで2位となる。11-12シーズンは、ワールドカップで自身最高 の2位の成績を残す。トリノとバンクーバーオリンピックの2大会に連続出場中。

生年月日:1987年7月20日
出身地:滋賀県
所属:北野建設スキー部

■使用マテリアル
スキー:ハート、ブーツ:ドロミテ、ウエア:ファブリス、ゴー グル:フォリオ
※2012年12月現在のスポンサーです
■オフィシャルサイト
http://ameblo.jp/itomiki-blog/

 

伊藤 みき

里谷多英や上村愛子に続く、日本女子モーグル界期待のエース。天性のスキーテクニックだけでなく、負けず嫌いな性格とポジティブ&ユニークな考え方がうまく組み合わさった時、爆発的な力を発揮するのが彼女の魅力だ。世界の舞台で順調に成績を上げてきた彼女が、今までにどんな経験を積んで、ソチオリンピック向けてどう考えているのか…、またスキー、モーグルの魅力などについても話を聞いた。


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最初はベタに、スキーを始めたのは何歳くらい?

両親がスキーが大好きで、私には2歳年上の姉と、6歳年下の妹がいるんですが、両親は自分たちがスキーに行きたいから、じゃあ子供たちも一緒にって(笑)。私は3歳の時にスキーを履かせてもらいました。最初はスキーを楽しむ普通の家族と同じように、みんなでいろんなスキー場に行って、一緒に滑っていましたね。

家族みんなで一緒に滑るんだ。楽しそうだね

でも父がコブ斜面を滑る時に、一緒についていこうとすると「危ないから迂回路に行きなさい」って言われて…。でも、親がコブに行って滑っているんだから、負けず嫌いの私と姉も「行きたい!」って言って、親から怒られながらも滑っていましたね。

コブは怖くなかったの?

普通のコースなら、どんな急斜面でも滑れるようになっていたので…。なんか「スキーの板が自分の足」みたいな感じだったんですよ。自分が動くよりも早く動けるじゃないですか、スキーは(笑)。だから急斜面が怖いというより、とにかく滑るのが楽しいという思いが強かったですね。

す、スゴイね~!

唯一、寒いのが苦手だったくらいかな。でも親は、この子は身体が温かかったらスキーが嫌いにならないだろうって、とにかくウエアをたくさん着させてくれたんです。手袋も手が異常なくらい大きくなっていたような記憶があります(笑)。

寒いのが苦手だったんだ(笑)

はい。でも、コブを滑るとすぐに身体が温まるし、ポコポコしていて「超楽しい!」って思ったんですよね(笑)。そして小さな私がコブ斜面を滑ると、周りの大人が「こんなに小っちゃいのに、エライね~」って、すごく褒めてくれたんです。それで、ますますやる気がアップしたり(笑)。父はぜんぜん褒めてくれなかったんですが、小学校2年生の時に子供向けのモーグルキャンプに姉と一緒に参加させてくれたんですよね。それがモーグルを始めるキッカケになったと思います。

褒められると伸びるタイプなの?(笑)

負けず嫌いというのもあると思うのですが…。ちゃんと滑れない、何かができないと悔しいし、誰かに負けるのはもっと嫌いだから(笑)。

最初に出た大会って覚えている?

白馬で行なわれた草大会だったんですけど、斜面が緩くて…。

余裕で勝った!?

いや、大人も一緒だったので、余裕で予選落ちでした(笑)。でも、みんなに「うまいね、うまいね!」って言われていたから、大会に参加する前は普通に「勝てるでしょ~」って思っていました。だから「なんで…、予選落ち…なの…?」って、アタマを何かでカツーンってやられた感じでしたね(笑)。

でも大人が相手なら、予選落ちでもしょうがないんじゃない?

子供だけの大会もありましたけど、人数も少ないし、そこで勝ってもおもしろくないですし~(笑)

やっぱり超負けず嫌いだね(笑)

ちょっと話がズレますけど、中学校に入ると(SAJ)公認大会に出られるようになるんです。私が小学5年生の時に姉が中学1年生で公認大会に出て、いきなり優勝したんですよ! お姉ちゃんの優勝は嬉しかったんですが、その後に『けど』が付いちゃいます。「私が出たら負けないのに」って心の中で思っていましたからね(笑)。なんで私は「まだ若いの?」って、お姉ちゃんの優勝シーンを見て、実はイライラしてました(笑)。

もどかしかったんだ(笑)

はい(笑)。話は戻りますが、二回目に出た大会は急斜面で長さもあって、コース的には難しかったんですけど3位になれました。緩斜面の大会だと、どうしても大人のほうが速いんですよね…。だけど大人は斜度がきつくなると逆に怖がったりして失敗も多くなる。私は緩斜面でも急斜面でも同じように滑れたので、3位になれたし「おー、おー、やっぱり勝てる、勝てる。もう次は大丈夫!」って有頂天になりましたね(笑)。

自信を持つことは、すごく大事なことだよね。

その後も、急斜面での大会では大人にも勝ててましたね。今でもコースが難しくなればなるほど「私が勝てるチャンス」って思っています。

大会に出るようになって誰かに教わったり、コーチみたいな人はいたの? やっぱりお父さん?

父には、スキー場に連れて行ってもらっただけですね(笑)。初めてコブを滑った時も、自分で「こんな感じかな?」ってくらい(笑)。コーチが付いたのはナショナルチームに入ってからです。でも、小さい時の滑りと今の滑りを比較しても「軸」は変わっていないんですよ。私の滑りの原点は間違ってないんだなって思っちゃいます。

え!? じゃあ、エアとかは見よう見まねでやっていたの(笑)?

はい(笑)。昔は今と違ってスプレッド(・イーグル)とかツイスターとかって、見れば分かるっていうか簡単なトリックでしたからね。でも、エア台って普通のゲレンデにはなかったから、長野県のモーグルチームの合宿をやっているところでコースを滑らせてもらって、その時にエア台も飛ばせてもらったり、アドバイスもちょこっともらったこともありました。でも基本的にはコーチはずっといませんでした。

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お姉さんと一緒に滑っていただけって感じかな?

両親が高校の教師で部活の顧問とかもやっていたこともあったので、スキー場にそれほど連れて行ってもらえない時期もあったんですが、その時は姉と一緒に電車を乗りついで自力でスキー場に行ってました。白馬とかも2人だけで行ってました。「あ、松本だ。乗り換えなくっちゃ」って(笑)。2人とも子供でしたらかね、姉が「どうしよーーー」って困った顔をした時もありましたけど、私は「知らんがな…」って感じで目を背けてました(笑)。

マイペースですね(笑)。

今も名古屋から特急「しなの」に乗ると、小さい頃の自分がどこかにいるんじゃないかって思うくらい(笑)。自分でスキー板とか持って行きましたから、車内がけっこう混んでたりした時に、大人から白い目で見られて「恥ずかしい」って思いをしたこともあります。でもスキー場に行っても、練習というより、普通に滑っているだけでしたね。

他のスポーツとか、何かやっていた?

中学の時は陸上部に入っていました。ちなみに姉も陸上部です。ここで基礎体力みたいなものが養われたと思いますね。グンと体力とか筋力も上がって滑りが変わりました。それと、家の庭には両親がトレーニングマシンを用意してくれて、帰ってきてからもトレーニングしていましたね。


話が前後してしまうけど、コブを滑るようになってから、すでに今のようなワールドカップやオリンピックに出たりするような選手になろうって思っていたの?

小学3年生の頃に父が全日本選手権のビデオを見せてくれたんです。優勝した多英さんが凄いなって見ていたんですけど、3位になった選手の滑りを見て「あ、私のほうが上手」って、チョー生意気にも思ってしまいました(笑)。

……(笑)。

「私が出たら3位になれるやん」って父に言ったら「そうだな」って感じだったし、周りの大人から「滑りがすごい」って言われていたから、私もすごいんだって思ってました(笑)。で、翌年、多英さんがオリンピックで金メダルを獲ったんですよ。そしたら「あ、私もイケる」って(笑)。周りにノセられてたのかもしれないけど、自分もノっていたんですよね。周りから褒められて「あ、私なんてまだまだ」なんて言っちゃうような性格だったら、たぶんここまで来ていないんじゃないかな。なんせ、お調子者でしたから。バスケもちょっとやっていたんですけど、陸上にしろ、そんなに成績が出なかったんで、スキーならイケるかなって(笑)。

で、初めての公認大会は上手くいったの?

たぶん北海道の大会だったと思うんですけど、まずはB級大会。でも「なんで私がA級大会じゃなく、B級なんかに出ているんだろう…」って(笑)。

(笑)。で、結果は?

4位でした(笑)、でもそれで翌日のA級大会にも出ることができて、結果は9位。初めてのA級としては良い成績かもしれないけど、うれしくもなく「別に…、そうだよね…」って感じでした(笑)。

初めてのワールドカップ(2004年)は、何か印象に残ってる?

ワールドカップに出る前に、まずポイントを獲らないと出場できなかったんで「ノルアム」(ワールドカップのランク的に下の大会)に出場したんですけど、その時にコーチから「絶対に予選通過」って言われて、「ああ、違う次元なんだな」って意識しましたね。それまで国内の大会だと、別にちょっと体勢が遅れようが、上から下までうまくまとめて滑れば、それなりに得点が出ていたんですけど、世界にはそんなレベルの選手ってゴマンといるってことが分かって、それからは魅せるというか、強い何かを持たなければって思いましたね。でも、それからすごくモーグルが楽しくなりました。

普通に滑っているだけじゃダメなんだと(笑)

はい、今までとは違う世界が見えたんで「負けへんで~!」って気持ちが強くなりました。簡単にいかない次元、簡単にいかない世界で戦えることが分かって嬉しかったですね。

それで自分に何か変わったことや変えなければって思うことってあった?

いやー、遠征、遠征って学校にいる時間が少なくなって、普通の高校生のような生活じゃなくなりましたね(笑)。

そ、そ、そういうことではなく(笑)、もっと技術的なことを聞きたかったんですけど…。でも楽しかったスキーから完全に勝負の世界へと、自分の位置も周囲も環境が大きく変わっていったってことですよね。スキーをしていてツライとか思うようなこともあったんじゃない?

大学1年生になって、トリノオリンピックが終わったというのもあって、ちょっと練習をしなくなったりとか、「ちょっと休んでも良いかな?」って思ってしまう気持ちがありつつ、練習もしつつでした。その年はモチベーションがそれほど高くなかったんですよね。オリンピックが終わってしまって気が抜けてしまったのか、思うように成績が伸びなくなってしまって…。でも「あ、ダメだ。このままだったら、これで終わってしまう人になってしまう」って思ったんです。

気合いが入らなかった?

大学では私の周りに、オリンピックとかで世界を舞台に戦っている人がたくさんいたんですけど、ほとんどが夏の競技の人ばかり。当たり前ですよね、夏のほうが競技数は多いんですから。で、冬はオフになるから、すごく楽しそうだった。それがちょっと羨ましかったというか(笑)。

どうやって立ち直れたの?

大学2年になって、「このままじゃバンクーバーでメダルが獲れるところまでいけない」って思って、とにかくワールドカップで表彰台に立てる滑りをしなければいけない、したいって強く思うようになりました。大学3年ではオフもトレーニングに集中して取り組んだんです。翌シーズンの世界選手権でメダルを獲るのを目標にして、そのメダルを獲らないとバンクーバーにつながらないって、すごく思っていました。で、良い取り組みができて、世界選手権でメダルを獲れたのに…、また「メダルが獲れた」「これでオリンピック(のメダル)が近くなったな」って安心してしまったんですよね。

ありがち(笑)。

人間っぽいでしょ~(笑)。そのまま同じ取り組みができていたら良かったんですけど、自分が引き込んでしまったケガだったり、環境とかもあって、急に怖くなったんです。せっかく、つかんだオリンピックなのに、一気に注目してもらえるようになって…。なんだろう、注目してもらえたのは春から取り組んだトレーニングの結果なのに「今すぐに、何かやらやなきゃ…」って、すごく気持ちが焦ってしまったんです。それで練習量を一気に上げすぎたりとか、冷静に、客観的に自分の取り組みを判断できる状態じゃなくなっていて…。それでワケ分からなくなってしまって恐怖に感じたりとか。それまでに味わったことのなかった状態になってしまいましたね。

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トリノの時とはぜんぜん違っていたみたいだね。

トリノオリンピックの時は父が取り組ませてくれたって感じだったから「オリンピック出れたよ~」ぐらいだったのが、自分がどうにかしてメダルを獲ろうと思ってオリンピックに臨んだら、自分に掛ってくる負担が、不安な気持ちを余計に大きくして「何もできない」ってネガティブな気持ちにしかならなくなっていましたね。自分の中では失敗したなって思いました。

その教訓をソチに向けて活かさないとね(笑)

学生半分、選手半分という、ちょっと中途半端な立場から、今は選手として競技に集中できる環境になっているので、大丈夫だと思います。私は運が良いんです(笑)。高校生でトリノ、大学生活の最後にバンクーバーって節目でオリンピックがあるし、社会人1年目がソチへ向けての1年目であることで、新しいスタートを新しい環境で臨むことができるのはタイミングとしては非常に恵まれていると思っています。

選手を続ける、オリンピックを目指すには周りの環境って大事だよね。

そうですね。でも、社会人になって環境が大きく変わって、空回りしてしまっていた時期がありましたね。学生の時とは違って、スキーだけに集中できる理想的な環境になったのに、ついつい気負い過ぎてしまって…、なかなか結果も出せず、タイミング悪くケガもしたりして、少しスランプになったこともありました。


でも、そういう時期も必要なんじゃない? そこから立ち直って行くことが重要だよね。

はい。それで、そこから立ち直れたというか、周りから勧められてチャンスをもらったのがアジア大会なんです。「みきに金メダルを獲らせてあげたい」「金メダルを獲ってきてね」って周囲から言われて、世界選手権と日程が重なっていて、自分としては本当は世界選手権に出たかったんですけど、周りもどちらに出るかで賛否両論あったんですけど、アジア大会に出て良かったって思ってます。

ということは金メダル!?

いえ、2位と3位だったんです(笑)。でもそれで火が付きました。「私は、何をやってたんやろ…」って(笑)。シーズン中は父とはずっと連絡を取っているんですけど、「おめでとう」って言われて嬉しかったんです。でも「世界一になる人は世界一の練習をしているし、アジア大会で1番になる人はアジア一の練習をしている人がなるんだよ」とも言われ、アジア一の練習をしてなかったなって、すごい悔しくて、すごく反省しました。トップと点数も離れていて、こんなんじゃ話にならないって。

練習が足りなかったってこと?

練習もそうですけど、スキーの技術で悩むんだったらともかく、環境とか人間関係で悩むのは、そこは自分の「仕事」じゃないって思えるようになったんです。自分がやるべきことは、他人を無視してでも良い滑りをすることで、良い滑りをしたら、みんな付いてきてくれるはずだと。今まではみんなに引っぱってもらっていた感じで、みんなが私を支えてくれているって思っていたけど、私がみんなを引っぱらないとって。ちょっと上から目線ですけど「私の喜びを分かち合いたいなら、自分で歩いてきて!」ぐらいな(笑)。

頼もしい(笑)

オリンピックも自分はボロボロの状態だったのに、みんなが頑張れって応援してくれて、ギリギリの気力、ギリギリの体力で戦って「あ、ダメだった…。でも、みんなありがとう…」って。悲劇のヒロインじゃないけど、そういう考えじゃダメなんだってことにアジア大会で気付くことができましたね。例え、何が起ころうとも強い滑りができる選手になろうと決心しました。0か100か、中途半端な成績は要りませんって(笑)。先シーズンはリハビリから始めたんですけど、それでもすごい練習量を増やして、質も上げて取り組めたから、きっかけになるシーズンになったと思います。

ソチに向けて、大事な何かを掴んだようですね。

バンクーバーの時は世界選手権のメダルを獲った後で、何かしなければいけないって、焦った感じでスタートしたんですよね。それも失敗だったと思う。だから『取り組みを変えない』というのが今のテーマです。今やっていることは来年もやるし、周りの方もいろいろ言ってもらえるかもしれないけど、自分の直感がすべてで『これが良い』と思ったことはやってみて、ダメだったらやめていく。トレーニングは積み重ねていくけど、自分の持っているモノは減らしていきたいですね。いらないものをいらないって言ってムダなモノをどんどん無くしていきたい。そのためには今はある程度抱えて、その中から『これいらない』って削っていって、最後(オリンピックで)は必要最小限になっていれば良いなって。

期待しています。で、最後の質問は、これまでとはちょっと離れて3つあるんだけど(笑)

最後に3つもあるんですか(笑)

今まで一番好き、一番印象に残っている会場は?

アメリカのディアバレーですね。私は出場していませんけど、ソルトレイクオリンピックの会場ですね。急斜面という理由もあるんですけど、コースの作り方はもちろん、競技を魅せる演出、会場に人を呼び込む力が凄いですよね。それと集まってくる観客も変な人がいない(笑)。そこで競技ができる私はなんか「すごい人」みたいだなって(笑)。そういう素晴らしい舞台で戦いたいですよね!

確かにアメリカの大会は演出がうまいですよね。

あと、記憶に残っているのはトリノの決勝の舞台。滑り終わった後に「もう1本、滑りたい。もう1本滑れたら、今度は絶対うまく滑れる」って思ってました。でもその会場はたぶんワールドカップでも使われることは無いだろうし、初めて「もう1本滑らせて~~~~」って気持ちになりましたね。

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では、2番目の質問。スキーをしていなかったら何をしていた?

普通に結婚して子供を育てていたと思います(笑)。昔は結婚願望もあったんです。でも今はぜんぜん(笑)。たぶんどこかで「普通っぽいこと」に憧れていたんだと思います。あ、憧れていたと言えば、ピアノの先生! 私、小学1年から高校3年まで、ずっとピアノを習っていたんですよ。中学生以降はスキーの大会や遠征があったから、いつやめても良かったんですけど、先生も好きで、ピアノも好きでやめる理由が考えられなかったんです。スキーだけに専念したいという気持ちはあったんですけど、スキーとはまったく関係ない場所、環境に自分の居場所が欲しかったんですね。スキーのことを考えなくても良い場所、ライバルもいない場所があったから、今の自分があると思っています。

なるほどね。では最後の質問。スキーをやっていて良かったこと、モーグルをやっていて良かったことは?

いっぱいあるんですけど、自分と向き合えることですかね。スキーをすることで自分が変わっていったり、変わらなかったり…。スキーは「人間(自分)を育ててくれる」と思います。スキーで一番を獲るために、どん欲に、がむしゃらにやるけど、そんな簡単じゃないし、工夫もする。工夫してできなかったら、何でできなかったのか? 他の人ができて自分にできなかったら「なんで?」って思いますよね。でも結局は「自分を形成しないと始まらない」ってことが大事なんです。それに自分をどれだけ保っていても、自然との闘いとかもあるので…。

自然との闘い?

例えばガスが掛かっていたり、太陽が出て雪が溶けたり、その状況判断も選手には必要で、「雪質が変わっていないか? エア台の形が変わっていないか? スキーの跡が残っていないか?」とか。自分がすることだけでなく、自然によってもたらされる影響を受け入れるようにすることも大事だなって(笑)。なんか自然を受け入れるというか、自然を感じられるのがスキーの楽しいところかなって。

それでは最後にメッセージをお願いします

私、基本「前向き」なんですけど、考えすぎるところもあって、良くも悪くも、どっちにも考えられちゃうんですよ、お調子者だから(笑)。でも私のお調子者の状態が良い時(?)は、グワーって活躍すると思うので、それはそれで、おもしろいと思うので注目していてくださいね。応援よろしくお願いします!

どうもありがとうございました!

Photo&Text Tomohiro Watanabe