寺田シュリ Vol.4
家族によって好きなものの基盤ができあがり、出会いによって人生の方向性が定められ、そして最後は自分で磨き込んでゆく。そこにあるのは自分のやりたいことをこなしていきながら、限界に触れるという手応えを感じ取ることなのかもしれません。ここが自分の限界だといって残念がるのではなく、きょうも限界まで突き進んだことに充実感を覚える。そう生き方は、雪を愛する人たちに共通する価値観のような気がします。寺田シュリさんのインタビュー。最終回は、考え方がもたらす幸福のお話しです。
~カナダに行くまでは、すべてが固かったと思います~
お話しに出てきたヘンリー洋介さんの滑りは、何がそんなに刺激的だったんでしょう?
寺田:何ですかね~~?
だって、その出会いがなかったら競技はやってないかもしれないですよね?
寺田:やってないですね。絶対にやってないですね。それどころかハーフパイプにも入ってないと思いますよ。
その出会いがなかったら、英語を学んだベビーシッターで帰国してたかもしれないですか?
寺田:あ、そうですね。きっと英語をもうちょっと勉強したいからって、語学学校行ったり。
もしかしたら日本に戻って、英語を使う仕事をしてるかもしれないけど。
寺田:こんなふうにスキーはしてないですね。その意味ではやっぱり、洋ちゃんの存在は大きいですね。
なかなかそこまで自分の人生に影響を与える人に会う事ってないと思うんですよ。
寺田:はい
しかもそれは自分が近寄っていった人じゃなく、偶然つながった人ですよね?
寺田:そうですよね。メープルシロップの値札からですから(笑)
何がそんなに?
寺田:たぶん、洋ちゃんの滑りというか、考え方ですね。チームは上手くなることが目的なんで、毎日練習します。朝イチはみんなでフリーランするんですよ。山に上がったらフリーランして、身体が温まってから練習なんですけどね。そのフリーランが楽しくて楽しくて。洋ちゃんが先頭で、みんなが追いかけていくんですけどね。
はい。
寺田:私、カナダに行く前は一級とったりとかしてたんですけど、やっぱりなんか固い感じがしたんですよね。
それは滑りが?
寺田:滑り、動き、考えかた。全部ですね。それまで考えてたのは、綺麗な滑りをすることで。それにはこうしないといけない。この筋肉がどうして、こっちをこう意識して、って。この足首をこう曲げないとダメ、とか。テストも "ここからここまでを4ターンで" って言われると、上手く滑ることよりもターンの事ばっかり考えちゃって、滑る事じゃなくて4ターンできたことで満足なんですよ。日本にいる時にはそれがスキーだと思ってました。スキーっていうのはそうやって上手くなっていくことが楽しいスポーツなんだって。だけど洋ちゃんのスキーを見たら、ホントに自由で。ツリーランする時も "この斜面をキャンバスだと思って。そこに緑の樹が生えてる。白と緑のまだらのキャンバスに、自分の線を描いてみよう" みたいなことを言うんですよ。最初、この人は何を言ってるんだろう?って思ったんですよね。ただ思うように自由に滑ればいいだけなんですけどね。今までは、スキーはこうやってしてくださいって言われてたから、この人大丈夫かなぁ?って(笑)
あはははは(笑)
寺田:あとは一緒に滑ってても、ホントに動きが軽いんですよ。ちょっとしたきっかけで回ったり、飛んだり。ホントに1メートルもないような壁に当て込んでみたり。そういう自由な動きを見たことがなかったから、驚いたし新鮮でした。あとはスピード感ですね。みんなでウィスラーのくねくねしたゲレンデを、重力感じながらフルスピードで滑るんですよ。1人で滑ってるときなんて、斜度はあってものっぺりした面を滑ってるから、そんなに重力を感じるなんて事はなかったんですよね。それが洋ちゃんたちと滑ると、自分の限界ギリギリのところで滑って、それでいて楽しいんですよ。上手く言えないですけど、とにかく楽しくて、衝撃的で。こういうスキーがあったんだ~って。
そこが分岐点だったんですね。
寺田:そうですね。そうして大会に出るようになって、だんだんスポンサーについていただけるようになって。気がついたらプロ活動をしてたんですよ。
~スキーで良かった~
今シーズンはどんな予定ですか?

寺田:3月に猪苗代で世界選手権があるんですが、その選考会が2月の上旬に開かれるんですよ。まずはそこに狙いを絞って、1月の末まではコロラドで練習してきます。
ファミリースキーから始めて、ウィスラーで目覚めてフリースキーヤーになったんですね。
寺田:そうですね。
シュリさん自身、どんなスキーがいちばん好きですか?
寺田:いちばん楽しいのは友達と滑るフリーランですね。キャッキャ言いながらちょっとしたジャンプで飛んだり跳ねたり。まさに洋ちゃんから教えてもらった、あのフリーランです。あとは天気のいい日のパウダー!
じゃあ今は、やりたいことを置いておいて、コンテストに集中してるっていうことですね。
寺田:そうですね。でもコンテストがあろうとなかろうと、ハーフパイプも好きなんだと思うんですよ。夜、お布団に入ってからもハーフパイプで飛んでることを考えるとニヤけてきちゃうくらいに(笑) その反面、すごく怖いっていうのもあるります。今までにケガが2回、手術が3回。そのうち同じところを2回やってますから。
それは?
寺田:左ひざです。前十字靱帯を2回切ってるんですよ。ケガの恐怖はいつもありますね。だけどそれ以上に滑りたいんです。
そうですか。
寺田:はい。滑って、上手くなって、自分の力をコンテストで試したいんですよね。
なるほど。
寺田:そういう手応えが好きなのかもしれないですね……。スキーはホント、成長させられます。考え方ひとつでものの見え方が変わるって思うんですよね。『トライバルチーム』で練習してたんですけどね。ある日、腰よりちょっと高いくらいのナローボックスをやろうってことになって。私はレールとかボックスが苦手で、どうしてもそれができなかったんですよ。コーチはいろんな方法で教えてくれるんですけど、何回やってもダメで。もう全身ぶつけてアザだらけなんですよ。痛いし、怖いし。次の日もその練習するんだろうなって思ったら、怖くて怖くて。家に帰ってから泣いちゃったりしてたんですよ。だからしばらくレールやボックスには近寄らなかったんですよね。でもやっぱり上手くなりたいし。上手くなるにはやるしかないっていうのは分かってたんですけど。
すごく時間はかかったんですけど、やっと決心がついて練習しはじめた時、洋ちゃんが教えてくれたんですよ。それが少しずつの練習方法で。まずここまでやろう。それができたらここまでやろう。勢いでこなすんじゃなくて少しずつ段階を踏んでやっていったら、できるようになったんですよ。人ってやっぱり練習のしかたもいろいろで、段階を踏まないといけない人もいれば、勢いでいけちゃう人もいて。そんだけ怖くて、できなくて、涙流してまでいたものでも、ちゃんとその人にあった練習方法をとればできるようになるんだなって。
……。
寺田:特にスキーって我流でも滑れるじゃないですか。滑るだけなら問題ないと思うんですよ。だけどパークアイテムって恐怖心も生まれてくるし、我流だとケガしちゃったり。最初から勢いでできちゃう人もいるけど、大半の人はそうじゃないと思うんですよね。その恐怖を乗り越えて自分のできないことをできるものにしていく方法とか考え方。見方をちょっと変えたりするだけでもできるようになるって。だから自分で絶対できないって思っちゃうと、自分で自分の限界を作ることになっちゃうから。やり方次第や考え方次第で何でもできるんだって言うのを伝えたい。多分それが私のフリースキー観だと思うんですよ。
なるほど。
寺田:だから今でもハーフパイプは怖いけど、それでもやっていきたいって思います。怖かったら怖いなりに、怖くなくなるような方法があるから。そうやってスキーを通じて、少しでも自分が成長したなって思えるようなことがあれば嬉しいな。
そうですか。
寺田:そういう考え方ができるようになったのも、スキーを続けてきたからだし、ウィスラーで洋ちゃんやいろんな人に巡り会ったからだし。
もしもお父さんまでが "大学行け!" だったら、人生は変わってましたね。
寺田:ホントにそうです。でも、私はお父さんは反対しないだろうなぁって思ってました。
私、すごいお父さんっこだったみたいなんですよ。お風呂もお父さんの役目だったし、夜泣きしてもお父さんが抱っこしたら泣き止んだりしたそうなんですよ。
ずっと家族でスキーに行ってたから、毎週末は一緒じゃないですか。やっぱり高校生くらいになると、周りはみんなお父さん嫌いって言って。私も何だか面倒くさいなぁって思ったりしてたんですけど。毎週山に連れてってくれて、子どもの面倒を見て。小さい頃スキーに行って、私とキヨシが寒いってぐずっても何しても、最後まで手をつないでてくれたんですよね。
だから、たぶん何があってもお父さんは私の味方でいてくれるんじゃないかなぁっていう思いはあって。そこからいろんな事がつながったから。お父さんが好きなのが、スキーで良かったって思います。
完
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寺田シュリ Vol.3
ウィスラーに渡ったシュリさんでしたが、挫折感に近いものを感じていました。英語は思ったように上達せず、スキーも楽しくない。何もかもが中途半端なまま、帰国の日だけが近づいてきます。ところが。やはり類は友を呼ぶのかもしれません。お土産を買おうと思ったことが連鎖反応のように人を呼び寄せ、ついに自分の人生の方向を決めるような出会いに遭遇することになったのです。
~偶然入ったお店から、運命の出会いにつながったんです~
ウィスラーに渡った目的は英語だったわけですよね?
寺田:そうですね。
スキーはどうだったんですか?
寺田:あの時は、スキーは別にできなくてもいいかなって思ってました。カナダだし、ウィスラーだし、行けばスキーはできるだろうなとは思いましたけど、私の中でスキーはプラスアルファだったんですよ。
意外ですね。
寺田:そうですか。でも、結局そこで大きな出会いがあったんです。
それはどんな事があったんですか?
寺田:この時のウィスラーには3ヶ月の予定で行ってたんですけど。行ってる間にスキーもしたんですが、正直言っておもしろくなかったんですよ。なんだかホームシックにかかったみたいになってて気が晴れないんです。英語もなかなか上手くならないし。そのせいか、滑る時も1人だったんですよね。まだまだ滑れるシーズンだし、山は大きいし。せっかくウィスラーに来たんだからって考えても、なんだかおもしろくなくて。
それはどうしてですか?
寺田:今だから思うんですけどね。チャレンジしなくなってたんだと思います。スキーはある程度できるからどこでも滑れるけど、できる滑りでできることしかしなかったんですよね。だからおもしろくなかったんだと思うんですよ。
どこでも滑れるけど、昨日と同じ事を今日も繰り返してるだけ?
寺田:そうそう。ラインも内容も、全部昨日と一緒。スキーに特別な想いを抱けなくなってて。最初はバックカントリーの学校に行きたいって言ってたのに、その情熱もだんだん薄れてきて。私がやりたいのは何なんだろうって?。
はい。
寺田:それで帰国も近くなってきてたんで、メープルシロップをお土産にしようと思って、ウィスラーのビレッジをぶらぶらしてたんですよ。お店によって同じものでも値段が違うから、ちょっとでも安いところないかなぁって、いろんなお店を見てたんですよね。そしたらある日本人向けのお土産屋さんが安くて。ここいいなぁって思ってたらお店の人に声かけられたんですよ。観光ですか?、ワーキングホリデーですか?って。だから観光です、って答えて。スキーヤーですか?、スノーボーダーですか?。あ、スキーヤーですって。そしたら普段は誰と滑ってるんですか?って聞かれて。
ええ。
寺田:誰ってことないです。いつも1人なんですよ~って答えたんですね。そしたら、スキーヤーで1人で滑ってるんだったらいい仲間いますよって。TMCっていうショップにヘンリー洋介さんっていう人がいますよ。その人と一緒に滑ったら絶対おもしろいですよ。行ってみたら?って教えてくれたんですよね。
へぇ~。
寺田:で、じゃあちょっと寄ってみようって思って、帰りに寄ったんですよ。その時、洋ちゃん(ヘンリー洋介)はいなかったんですけど、お母さんがいらして。で、お母さんと話してるうちに、1人で滑ってるんだったらうちの息子のチームに入りなさいよ。『トライバルチーム』っていって、コーチもいてみんなで腕を磨いてるのよ。今度、無料の体験参加があるから来なさいね~って。すごく陽気に言われて(笑) 私はちょっと圧倒されながら、じゃあ……、みたいな感じだったんですよ。なんだかお母さんの勢いに圧倒されちゃったなぁ~、って思いながら家に帰って。
そしたら?
寺田:すごかったです。それまでもウィスラーにパークがあることは知ってたんですけど、自分とは無縁のものだったんです。見てはいたけど目に入ってなかったんだと思うんですよね。たぶんあの頃の私は飛んでる人たちを見ても、怖そうだなぁ、きっと私にはできないなぁってだけだったと思うんですよ。だけど目の前にいる洋ちゃんたちは、もう軽々と滑るんですよ。パイプにも入るしキッカーも飛ぶし。ゲレンデもすごいスピードで滑りながら、地形を使って飛んだり回ったり。もう、一緒に滑ったら楽しくて楽しくて。それを見たら、あんなふうに自由に滑りたいなぁって思うようになって。それで洋ちゃんたちのチームに入ったんですよね。
でも、もう帰国間近だったんですよね。
寺田:そうなんですよ。だから次のシーズンにまた帰ってきますって言って。
~運命を感じて、150%の力でしゃべりました~
寺田:あと、その時にもうひとつの出会いがあって。
はい。
寺田:その、お世話になってたロッジで、私が小学校6年生の時に働いてたカナダ人のお姉さんがいるんですよ。その人は私が1人でいるのを見てご飯に誘ってくれたりして面倒見てくれてたんですけどね。六カ国語しゃべれるんですよ。
すごいですね!
寺田:それでどうやって勉強したらいいの?って聞いたら、子どもと一緒に過ごすのがいちばんだって。だからベビーシッターを住み込みでやるのが一番いいよって教えてくれたんですよ。だから次のシーズンはベビーシッターの仕事を探したんですよね。そしたら、2人別々の人から紹介されて。じゃあ両方とも面接受けてみようって思ったら、それが同じ家だったんですよ。これはもう運命だ! 絶対この家がいいって思って一生懸命面接受けて。その時も英語しゃべれないのに150%くらいの力が出たような気がしました。結局他にも、もっと英語が上手な人が面接受けてたんですけど、採用してもらえて。
やっぱり運命だったんですね。
寺田:それでその家に住まわせてもらいながら、週3日は子どもの面倒を見て、あとは洋ちゃんたちと滑って、っていう生活を2シーズン過ごしました。そしたら子どものおかげで、やっぱり英語も上達してきて。子どもも私の英語を分かってくれるんですよ。そこの家の大人の人たちと喋ってて上手くコミュニケーションできない時も、子どもが会話を助けてくれて。きっとシュリはこう言いたいんだよ、って間に入ってくれるんです。ホント、あれは楽しかったし勉強になったなぁって思いますね。
じゃあ、それが高校卒業して3年くらい?
寺田:そうですね。それくらいです。21歳くらいの時ですね。
その頃、プロスキーヤーとして生活していこうっていう意識はあったんですか?
寺田:まったくなかったです。スキーはすごくおもしろいけど、とにかく上手くなりたいっていうだけで。だけどだんだんそのおもしろさにハマってきて、大会に出たいとか、もっといろいろしたいって思ってるうちに時間が足りなくなってきて。ベビーシッターもおもしろいけど、もっとスキーの練習したいと思うようになったんですよ。それからは友達と家を借りて、部屋をシェアして、練習して、大会に出て。英語よりも何よりもスキーのことばっかり考えるようになってきました。
つづく・・・
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寺田シュリ Vol.2
スキーが大好きなお父さんに引っぱられて、冬の間は毎週スキー場通い。時には嫌がって泣いたりしたけれど、やがて家族揃って念願のウィスラースキー旅行に行くことができました。そんなシュリさんにも、将来の道を見定める時期がやってきます。心の中にあったのは、好きな英語を勉強したい、という想いでしたが……。
~英語を勉強したくて、カナダに行く決心をしたんです~
現在はフリースキーヤーとしてハーフパイプ中心に活動されてますが。
寺田:はい。
競技を始められたのも小さい頃ですか?
寺田:私、高校卒業してからウィスラーに行ったんですけど、ハーフパイプを初めて見たのがその時で。
それまでは?
寺田:競技はやったことありませんでした。普通のゲレンデスキーヤーです。ホントに家族でスキーして楽しんでるだけですね。父親も将来、競技をやらせようっていう考えはなかったみたいで。ホントスキーが好きで、家族でやってただけですね。今にして思うと、父親は家族で同じ事をして楽しむのが大好きだったんですよ。だからみんなで毎週毎週スキーしてました。
プロスキーヤーで小さい頃の競技経験がない人って、少ないんじゃないですか?
寺田:そうですね。たいていのフリースキーヤーは競技経験あるみたいですよ。
子どもの頃にスキークラブにも入らず?
寺田:はい。だから今、雑誌に載ったり、大会で成績が残るとお父さんはすごく喜んでくれますね。今の活動はすごく応援してくれてます。
ところで高校を卒業してからウィスラーに行かれた、というのは?
寺田:高校の時、英語に興味があったんですよ。決して勉強が良くできたとか、英語のテストの点数が良かったとかじゃないんですけど、英語は好きで喋りたいなぁって思って。それで、高校2年生の進路を決めるときに、ウィスラーに行こうかなって思ったんですよ。
じゃあ留学で?
寺田:いわゆる留学、ではないんですよね。英語圏の生活を体験しに行った、っていう感じですかね。初めてウィスラーに行ったのは小学校5年生の時で、その時お世話になったロッジの人たちがいるんですけど。カナダ人の旦那さんと、日本人の奥さんで。そこにはその後、中学2年まで毎年お世話になってたんですよ。で、ロッジの人が冗談とも本気ともつかない口調で、高校になったら夏休みにホームステイしにおいでよって言ってくれたんですね。でも当時はそんな勇気もなくて、結局行かなかったんですよ。でもいざ高校卒業する時ににどうしようかなって思って。はじめは日本で外国語大学に行く気満々だったんですけど、海外での生活にも興味があったし。
じゃあ英語を勉強しに?
寺田:そうですね。だけど私は進学系の学校行ってたんで、高校の先生はいい顔しなかったんですよね。大学行くのが普通っていう高校だったから、カナダに何しに行くんだ?って。しかも英語の勉強したいって言っても現地で学校に行くわけでもなく。そんなの勧められない、日本で大学行った方がいいって。で、その時にちょっとバックカントリーなんかにも興味があったから、パウダー滑りたいっていう話をロッジの人にもしたことがあって。そしたらカナダに学校があるよ、って教えてくれたんですよ。
バックカントリーの?
寺田:はい。バックカントリーとか登山とかの。入学するのも、ものすごく難しいんですけど。でもそういうのもあるからって聞いて。その頃は物事を簡単に考えてて、じゃあその学校に行こうって。
バックカントリーの学校に。
寺田:はい。そこに入るためにまず英語を勉強しようって。で、頭の中はもうそれでいっぱいになっちゃって。だけど高校の先生とか周りのクラスメートも、え~それは……っていう雰囲気があって。その時に父に相談したら、普通に大学行くよりはそういうちょっと外れてるように見える道の方が人生はおもしろいからって言ってもらえて。
さすがお父さん(笑)
寺田:そう言われて、私も背中を押された気がして。よし行こう!って思えたんですよ。それが高校2年生の時ですね。それからはカナダに行くことを決めて、英語もきちんと勉強し始めたんですよ。
なるほど。
~ちゃんと企画書で出せって、父にしかられました(笑)~
寺田:で、高校卒業が近くなった頃かな。カナダに行っても何をしたらいいか分からない。英語も不安。そういう状態だったんで、日本によくある留学斡旋業者みたいなところでお世話になろうと思ったんですね。それで父親にそのことを話したら。そんなもの口で言うだけじゃダメだ! ちゃんとやりたいこととやることを文章にまとめてもってこい!って言われて。要は企画書出せ!みたいな話になって(笑)。
家庭内プレゼンテーション!
寺田:そうなんですよ。だから私も必死でいろんな事を調べて。いろんな留学斡旋業者から資料もらって、地域はどこがいいのか、どんな学校がいいのか、その学校に行くには費用がどのくらいかかって、とか。そういうのを全部まとめて父親に提出したんですよ。
はい。
寺田:そしたら、バカもん!って怒鳴られて。おまえはせっかく自分の道を切り開こうとしてるのに、そんな業者に頼って、見ず知らずの他人が敷いた線路に乗っていくなんて、何の勉強にもならんだろ!!って怒られて(笑) そんなもん自分で調べて行ってこいって言われて。私は、文章にまとめろって言ったのはそっちじゃん!ってあっけにとられながら(笑)言ってることは理解できたから、業者に頼るのはやめようって思ったんですよ。
あ、それで。
寺田:はい。それで卒業を間近にした頃、お世話になってたロッジの人たちに連絡してみたんです。こうこうこうでカナダに行こうと思ってます、って。最初はお金もないから働きながら滞在したいし、ワーキング・ホリデーで行きたいんだって連絡したんですよ。そしたら最初はワーキング・ホリデーは勧めないって言われて。
それはどうしてですか?
寺田:当時18歳ですからね。いきなり来て言葉も不自由ななのに、仕事とやりたいこととを両立させるのは難しいよ、って。だからとりあえず、3ヶ月くらいおいでって言ってくれたんですよ。
なるほど。
寺田:それをお父さんにきちんと話して、了承してもらって。結局そういう流れで、高校卒業して10日後にはウィスラーにいました。
つづく・・・
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寺田シュリ Vol.1
日本各地には多くのスキークラブがあり、そこからはたくさんのプロスキーヤーが巣立っています。ある意味、競技スキーを支えるスキークラブは、プロスキーヤーを生み出す大切なゆりかごなのかもしれません。ところがそのゆりかごでははく、両親の愛情と数々の出会いを重ねることでプロスキーヤーとして活躍している選手がいます。スキー一家に生まれて、小さい頃からスキー場通いを重ね、ついにプロとして活動する道に辿りつく。2009年の幕開けを飾るのは、そんな独立独歩の道をゆく女性フリースキーヤー・寺田シュリさんです。
~家族でウィスラーに行くのが夢だったんです~
スキー一家だそうですね。
寺田:そうなんです。父がスキー大好きで
弟さんもプロのフリースキーヤーだと聞きましたが。
寺田:はい、1つ下でキヨシ(寺田斉史=てらだきよし)っていうんですけど
ってことは、かなり本格的なスキーファミリーっていうことですか?
寺田:でも母はスキーがそんなに好きじゃなくて
え、そうなんですか?
寺田:はい。むしろ父が家族を引っぱって山に行ってました。
お父さんはそれくらいスキーに夢中だったんですね。
寺田:それもありますけど、ウィスラーに家族で行くっていうのが父の夢だったらしいんです。ウィスラーって昔からスキーヤーの聖地みたいな感じがあるじゃないですか。そこに家族で行きたいって。私たちがスキーを始めたばっかりの時に、父はもうそう思ってたみたいです。
それ、ものすごく素敵な夢ですね。
寺田:そうですね~。でも大変でしたよ、いろいろと(笑)。
お父さんってどんな方ですか?
寺田:う~~ん。もしかしたらちょっと変わってるんですかね。趣味にお金を使う人なんですよ。
普通のお父さんってお家を買ったり、まぁマイホームを持つのが夢って言うお父さんが多いと思うんですけど、父は家なんて寝れるだけでいいっていう(笑) うちに来た人はみんな驚くと思いますよ(笑)。
ウィスラーに行くことを夢見るお父さんが住んでる家って、ログハウスのようなオシャレなものを想像しますけど。
寺田:みんなそうやって誤解するんですよ(笑) 特に今、私とキヨシはカナダとかアメリカとか、海外をベースに動いてるんで。けっこうみんな、うちが豊かなんじゃないかって思ってるみたいです(笑) "いいね~シュリちゃんは、いつも海外行ってて" って(笑) でも実際には必死でお金を貯めて、ひぃひぃ言いながら行ってます。家もみんなが想像するような感じじゃないですよ。私もキヨシも自分の部屋はないんですよ。ひとつの部屋をたんすで仕切ってるような感じですから、電話なんかしてても誰と何の話をしてるかつーつーですし(笑) 決してリッチで豊かな家ではないんですけど、父が本当にスキーが大好きで、モノとかお家よりも、何かをすることを選ぶ人なんですよ。私が小さいときは、とにかく家族でウィスラーに行きたい、ウィスラーでスキーしたいっていうことだけだったみたいです。
お金の使い方を知ってらっしゃるお父さんですね。
寺田:そうなんでしょうか(笑) 確かにその分、想い出はいっぱいありますね。
で、ウィスラーには行かれたんですか?
寺田:はい。私が小学校5年生の時に。
じゃあ楽しいスキーのその先に、海外でのスキーがあったんですね。
寺田:それが、そうでもなかったんです。
~毎週末のスキーはイヤでした。お誕生会にも行けないし~
寺田:ウィスラーに行くまではものすごくスパルタだったんですよ。まずスキーには毎週末、必ず行くんですよ。
その頃住んでらしたのは?
寺田:愛知県の高浜っていうところで、名古屋の南側に1時間くらい行ったところです。
じゃあ、山に行こうとしてもちょっと距離がありますよね?
寺田:そうですね。しかも父は混んでるゲレンデが嫌いなんですよ。遠くても、空いてるゲレンデ。並ばなくてもリフトに乗れるところがいいって。それで気に入ったのが野麦峠スキー場で。そこにずっと通ってたんですけど、だいたい家から4時間くらいかかるんです。
まぁまぁありますね。
寺田:そうですね。しかも毎週末行くとお金もかかるからっていうことで、父は車を改造したんですよ。当時ランクルに乗ってたんですけど、ランクルの屋根の上に台を置いてテントを張れるようにしたんです。車内から暖房も引けるようにして。真っ赤なランクルで、上のテントが白なんですけどね。朝、外に出るのがが辛くて(笑) 寒いよ~ってぐずったり。あとはトイレですね。だいたいおトイレがあるところに車は停めるんですけど。朝起きて、近くのおトイレ行って、顔も洗ってくるんですよ。眠くて寒い中、震えながらトイレまで行くのがイヤでイヤで(笑) イヤなことはいっぱいありましたよ(笑)。
他にはどんなことがイヤだったんですか?(笑)
寺田:たとえば土曜日にお誕生日会とか、そういう子どもなりのイベントってあるじゃないですか。そういうのにも行きたいなぁって思ってるんですけど、一切ダメでした。
週末の予定はすべてスキー?
寺田:もう、冬になると全部。
それだと友達と遊べないんじゃないですか?
寺田:はい。友達と遊ぶのは平日だけです。土曜日にお誕生日会とかあっても私は行けなくて。行きたい行きたいって父に言うと "いや土曜日にお誕生日会するのが変だろう" くらいの返事なんですよ。土日は家族と過ごすものだって(笑)。
すごいですね。
寺田:毎週行くのもだんだんイヤになってきて。時には "イヤだ~行きたくない~" ってダダこねて。でもイヤだって言うと怒られるから(笑)、口にはできず(笑) で、弟も嫌がってるんですよ。行くと寒いし、スパルタだし。
その、2人の子どもが嫌がってるのは、お父さんは分かってらっしゃるんでしょ?
寺田:分かってますね(笑) 分かってますよ、もちろん(笑)
だけど、自分が滑りたいから?
寺田:そうですね。オレはスキーが好きだ。おまえたちもだよな、って(笑) そういう感じだったと思いますよ。
もはやジャイアン(笑)
寺田:ね~。それで、冬の間は毎週末。スキー、スキー。ずっとスキーです。でもそれだけやれば、ある程度滑れるようになるじゃないですか。ボーゲンだけどどこでも行ける、みたいになって。うちは家族がいつも一列で滑ってたんですよ。先頭は父で、次が私かキヨシ、で、母。父が滑るところを私たちで同じようについて行ったりしてました。あと、キヨシは身体が小さかったんで、年齢よりも小さい子に見られてたんですよ。その時にヘルメットも被ってたのかな。それもあって周りからはかわい~、速い~、すごい~って注目されてました。私もいっしょに滑ってたからけっこう人気者で(笑) そういうのはちょっと楽しかったですね。
最初にスキーしたのは何歳の時ですか?
寺田:それが覚えてないんですよ。
物心ついたら?
寺田:そうですね。スキー以前に、ソリで遊んだ記憶もまったくないんですよ。両親は遊ばせたてたって言うんですけど、全然覚えてなくて。だけど3歳くらいの時には、プラスチック製の足にくくりつけるようなスキーで滑ってたと思うんですよね。まぁ、いわゆるおもちゃのスキーなんで、あんまりちゃんとは滑れてなかったと思うんですよ。で、ちょうど私が4歳くらいの時に子供用のちゃんとしたエッジがついてる板が発売されて。もう、すぐに買ってくれて(笑) そしたらすぐに滑れるようになりました。それくらい子どもにはスキーをやらせたいって思ってたみたいですね。
シュリさんは子どもの頃、スキーは好きでした?
寺田:う~~ん、滑っちゃえば楽しくていいんですけど、山に行くまでが憂鬱で。また土曜日がきた、スキー行かなきゃ~って思ったり(笑) 行ったら行ったで厳しいし。休憩も無しにどんどん滑るんですよ。だから子どものペースじゃないんですよね(笑) 中学生くらいまではイヤでしたね。
つづく・・・
- in 寺田シュリ
- 寺田シュリ Vol.1
寺田シュリ プロフィール
寺田シュリ★てらだしゅり
愛知県出身。スキー好きの父親の元に育ったことで、物心着いた頃にはスキーをしていたほど。小学校・中学校と、冬の間は毎週末にはスキー場に通うことに。高校を卒業後、短期滞在で訪れたウィスラーでTMC「トライバルチーム」というスキーコーチングを主宰するヘンリー洋介氏と出会い、それまでのスキー観が一転。自由に滑る楽しさと開放感を味わったことから、フリースキーの道へと進み始める。現在はプロフリースキーヤーとして活動しながら、数々のコンテストに出場中。
スポンサー/ARMADA、Kari Traa、SPY、LEVEL Glove、elm company、BENIX、Berkner、穂高、TMC
公式ホームページ:www.shuriair.com
BLOG:http://divetoski.heteml.jp/serendipity/
※2009年1月現在のスポンサーです。

